有本 空玄 さん Vol.1
土が求める「なりたい形」を叶える。人の心を満たす。
――そんな“一生一品”を目指して。
有本 空玄さん
志野
1963年 広島県広島市に生まれる
1992年 志野を志す
1995年 広島県二ヶ城山麓に、工房と志野仕様の窯を築く
<主な作品収蔵先>
氣比神宮(福井)
酬恩庵一休寺(京都)
手向山八幡宮(奈良)
薬師寺(奈良)など
コンピュータの仕事から、焼き物の道へ。
たった一つの茶碗がきっかけでした。
もともと古建築が好きだったことから、学生時代には京都や奈良によく出かけてたんですよね。そのような中、古伊万里に出会う機会に恵まれて、古伊万里の収集を始めたんです。頻繁に古美術屋さんに出入りするようになったある日、通りがかりの骨董屋さんから一つの土物茶碗を勧められました。後日わかったんですけど、それは”荒川豊蔵”と言う人間国宝の名前を語った偽物でした。それからしばらくして名古屋に別件で伺った際、時間があったので岐阜県の”豊蔵資料館”を訪れてみました。当時は古伊万里に傾倒していただけで、正直、陶芸にはあまり興味が無かったので「よくわからないなぁ~」と思いながら館内の作品を見てたんですが、一つの茶碗の前でドキッ!として、”自分はこれをつくらないといけない”と感じたんです。”欲しい”とかではなく”自分が創る”という感覚ですね。 当時は大学でコンピュータ関連の仕事をしていたのですが、”豊蔵資料館”から帰るなり、陶芸の勉強を始めました。29歳になる年のことでした。
器の魅力って、「実用性」だけではなく、
「心を満たすかどうか」だと思うんです。
運命の出会いから、いきなり陶芸の勉強を始めたわけですが、あたりまえのことで右も左もわからなくて。古伊万里が好きだったのも、古建築を楽しむような感じで、古い時代のものに触れることでタイムスリップを楽しんでいたというような感覚。だから、器の存在意義なんて深く考えたこともなくて……。あの有名な景品でもらえる“白いお皿”が一番いいと思っていた。あれほど汚れが取れやすくて、軽くて薄いのに丈夫で、重ねられて……実は今でも、使い勝手を中心に考えると僕の中では優れものですけど(笑)。
陶芸と言う仕事に携わって思うんですけど、器って日常で使ったり特別な時に使ったりと、生活もしくはその人の人生と密接な関係だと思うんですよね。それだけに、“実用性”を優先としたデザインの器と“造形”を優先したデザインの器の両方とも生活を豊かにすると思ってる。大切なのは、「心を満たすかどうか」なんですよね。
その器を見たり使ったりすることで、元気が出る。モチベーションが上がる。“実用性”や“造形”の向こうにある“人の為”になる作品、それが、僕の目指す器であり作品なんです。
(Vol.2へ続きます)
右都和より
有本空玄さんは、お話をするときに、一言ひとことを吟味しておられるように感じます。お話を聞けば聞くほど、ご苦労を背負いながらも「自分が作らなければ!」という思いが褪せることなく作陶の道を歩まれ、そして何より「本当にいろんな方に助けていただいていて、感謝しかありません」というお気持ちが、その言葉選びにつながっているのだと思いました。かといって気むずかしいことはなく、そこまでお聞かせいただいていいのですか!?というほど、気さくにお話くださいます。う〜ん、ここでは言いづらいことも…。機会がありましたら、ぜひ、直接お話を聞いてみてください。この右都和オンラインでも、近日中にお話の続きをご紹介していきます。
さて今回、京都の都をどりに合わせて、だんご皿の写しを空玄さんの工房『二ヶ城窯(ふたつがじょうがま)』で作っていただきました。あのデザインをベースに、志野ならではの力強い風合いと春らしい色合いが重なり、素晴らしいお皿にしていただきました。
右都和オンラインでご購入いただけます。
二ヶ城窯「志野丸皿 団子皿写し」
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