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余宮 隆さん Vol.1

おいしい料理、うまい酒。
いい器だと、もっともっと楽しめると思うんです。

余宮 隆さん

熊本県天草

1972年 天草生まれ。
1991年 唐津「隆太窯」で陶芸の修行を始める。中里隆氏に師事。
1995年 天草「丸尾焼」で修行。
2002年 天草本町に「朝虹窯」として工房と窯を築く。

焼き物歴、わずか一週間。
弟子入りを決意しました。

福岡の建築専門学校に通っていた僕が焼き物に興味を持ったのは、福岡にある老舗デパートで見た古唐津の茶碗がきっかけです。そのデパートの創設者が収集されたという「田中丸コレクション」は、いつでも誰でも無料で見られるように展示されていました。焼き物にはまったく興味がなかったのですが、そのコレクションの古唐津を見たとき、なぜかドキドキしてしまって。あと2ヶ月ほどで卒業という時期だったのですが、いつかは物をつくる仕事に就きたいという思いがあったので、就職活動はせずに物づくりのお仕事とのご縁を待とうと思っていたところでした。

お茶碗へのときめきに背中を押されるようにして、もともと焼き物を集めるのが好きだった母に、焼き物をやりたいとさっそく相談したんですよ。ちょうど僕が電話したとき、陶芸家の中里隆先生と同級生の方が仕事で天草に来られていて、僕の実家の焼き鳥屋に飲みにいらしていたんです。その方が中里先生に話をつけてくださって、面接してもらい、唐津の隆太窯に弟子入りできることになりました。卒業まで待っていたら熱が冷めてしまうから、学校を辞めて今すぐ行きたいっていう僕の熱意を、先生は受け入れてくださったんです。焼き物をやりたい!と思ってからわずか1週間で弟子入りが決まった感じです。

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背広で面接に来たのも、
下着だけで弟子入りしたのも、僕が初でした(笑)。

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弟子入りが決まってからは「住み込みなので、下着だけ持って来い」って言われて、本当に下着だけ持って行きました。今考えるとなんだか天然な奴でしたね(笑)。先生には、面接で背広着て来たのも、本当に下着だけ持って来たのも、お前が初めてだって言われました。ちょうど初仕事の日が登り窯の窯だしの日だったんです。たった一足持って行っていたワークブーツで手伝ったのを憶えています。

当時、住み込みの弟子は僕を含めて5人。同じ部屋にいたのはアメリカ人でしたが、やっぱりハードだったんでしょうか、半年くらいでみんな辞めてしまったんです。だから、ほとんどの期間、仕事は一人でやっていました。3年以上いたら窯の癖が移るから出ろって先生に言われて、4年目に窯を出ました。その後、天草で7年くらい修行を積み、2001年に開窯したんです。ギャラリーの「朝虹窯」という名前の由来は、透き通った感じ、何かが生まれるイメージである『朝』と、夢とか希望っていう意味を持つ『虹』を組み合わせてつくりました。自分の夢と希望だった独立が今からスタートするぞという思いも込めて。

(次回に続きます)

右都和より

陶芸家・余宮隆さんの人となり Vol.1です。余宮さんとの出会いは、2014年3月。右都和の代表、矢部慎太郎が熊本の友人を訪れる際に、ネットで作家さん探検をしたことがきっかけです。天草に以前から行ってみたいと思っていた矢部に、私たちスタッフも同行。お忙しいので時間がとれないかも、とのことでしたが、時間を融通してくださいました。
もともと農協の事務所だったという建物が、自宅兼「朝虹窯」のギャラリー。趣がある、というか重厚感たっぷりの金庫の扉があったり、ご家族のダイニングテーブルがギャラリーの打合せテーブルを兼ねていたり、空間を愉しく使っておられていて、とても心地よかったです。その後、窯として借りておられる古民家、ご実家の焼き鳥屋さんにもご案内いただき、たっぷり余宮さんとお話させていただきました。これから右都和のホームページでご紹介していきますね。

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