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工藤 和彦さん Vol.1

自分で作ったモノを人にあげることの喜び。
それが、自分の原点になっていると思います。

工藤和彦さん

黄粉引、粉引

1970年 神奈川県生まれ。
1988年 信楽焼神山清子先生、神山賢一先生に師事。
1996年 北海道剣淵町に自宅兼工房を築窯、独立。
2002年 旭川市に移住。
2003年 黄粉引平片口鉢が栗原はるみ大賞受賞。

折り紙、工作、油絵、そして焼き物。
ノッポさんに憧れる、モノづくり大好き少年でした。

子ども時代から、とにかくモノを作るのがすごく好きでした。一番古い記憶は、小学校低学年の頃。夕方にリヤカーを引いて家の近くまで来る豆腐屋のお姉さんが大好きで、折り紙でいろいろなものを作って渡していたんです。モノづくりは自分も楽しいし、相手にも喜んでもらえるということをその時に感じて、モノづくりに熱中していったような気がします。ノッポさんも大好きでした…。セロハンテープで何でもつくってしまうんですよね。それこそノッポさんになりたい!と本気で思っていましたから。そんな僕は、父が趣味で使っていた油絵の具がきっかけで油絵にも興味を持ち、高校はデザイン科のある学校に入学しました。そこで出会ったのが焼き物。学校の先生がクラブ活動で焼き物をやっていたのに興味を引かれて、やってみようかなと思ったんです。

焼き物への興味は、案外小さな頃からあったんじゃないでしょうか。子どもの頃、土を掘ると出てくる粘土みたいなもので何かを作って、U字溝に入れて焼いたりしたこともありましたね。本能的に焼き物の知識があったのか……(笑)。まあ、火があると何か燃やしたくなる。で、粘土で作ったものも焼いてみるか、みたいな感じですよ。あと、小学校で焼き物の里なんかに社会見学に行ったりしますよね。そこで聞いたことを参考に作ってみたりして、なかなか上手くできなくて。実は自分でもすっかり忘れていて最近判明したのですが、小学校の頃、陶芸部だったんです。そういった下地があったからこそ、高校のときにもう一度陶芸に出会ってやり始めたら、すんなりいい焼き物ができちゃった。陶芸部には僕しかいなかったけれど、3年間夢中になって取り組んでいました。朝も放課後も、時間のある限り、焼き物と向き合っていました。ギャラリーや骨董屋さんを回って教えてもらった、名だたる陶芸家の人たちの作品を真似るのに熱中していましたよ。おもしろかったのは文化祭のとき。自分の作品を、近所のおばちゃんが買いに来てくれる。湯飲みなんて一つ300円くらいしか値段がつけられないんですが、高3のときになんと20万円も売り上げたんですよ。びっくりしますよね。その頃はすでに先生と同じレベルのものが作れていたと“勝手に”思っているんですが、「これは、売れる」と確信。好きで作ったものを、誰かが喜んでくれる。そこから、本格的に陶芸の道に進もうと思い始めました。

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焼き物の価値は、
“作り手の人生”で決まるのではないでしょうか。

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高校生のとき、小田原のとある個展で出会った作品に強い衝撃を受け、その先生に弟子入りしようと決意したのは高2の頃。神山清子先生という方です。何度訪問しても、なかなか承諾してくれなかったのですが、卒業してからやっと弟子入りさせてもらえることになって。それも、訪問するうちに仲良くなって文通していた神山先生のお母様が亡くなるときに、「工藤君を弟子にしてやって」という遺言を残されていて、そのおかげで決まったという流れでした。神山先生は信楽焼をされていたのですが、信楽という町は、伝統を大切にする街だったということもあり、女性が焼き物をする、窯場に入るというのに相当風当たりがきつかったようです。当時、50歳くらいだったと思いますが、かなり大変な思いをされて、たくましく焼き物をやっていらっしゃいました。

何が品物の価値を決めるかというと、作り手の人生が決めるんだと、僕は思うんです。先生の作品は、苦労された経験が品物ににじみ出ている。実際、個展で見た先生の作品からはものすごいものを感じたんです。高校生だった僕でも感じるものがあったくらいの作品で、男とか女とか関係なく、その先生に師事したいと思ったんです。

僕が弟子入りしている間に、先生の息子さんが白血病に罹られ、亡くなられました。当時は骨髄バンクがなくて適合者を大変な思いで探しておられたのです。神山先生のその活動は、日本における骨髄バンク設立のきっかけを使ったと言われていて、その内容をモデルに、2005年に『火火』という映画も作られています。

そんな神山先生の活動を、福祉施設の方が先頭を切っていろいろと協力してくださってたんです。そんな時に、福祉施設で利用者さんがつくる自由な発想のオブジェなどを見る機会に恵まれました。大きな感銘を受け、福祉施設の焼き物の指導員として携わることになったんです。とても興味深いクリエイティブに触れたり、様々な運動に取り組む人々と出会ったりすることが、自分にとっていい刺激になっています。子どもの頃から知りたいと思っていた「なぜ人はモノを作るのか。モノを作るときに、湧き上ってくる感情は何なのか」ということの答えが、最近ようやくわかってきたような気がします。

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右都和より

作家・工藤和彦さんの人となり Vol.1です。聞けば聞くほど奥が深いというか、話がとまらない工藤さん。これから3回に分けて、作陶に対する思いなどをご紹介していきます。

右都和の代表である矢部慎太郎の出身は、北海道の旭川市愛別町。年に何回か帰郷するのですが、2012年のある時、旭川でユニークな作家さんが活動されているということを知り、直接工房に伺ったのが始まりです。斬新な黄粉引に目を引かれたのはもちろんですが、神奈川出身でありながら、ご縁あって旭川に移り住み、たまたま出会った2億年前の黄砂が“自分の土”となったその背景に一目惚れしました。いま、旭川から一緒に盛り上げていこうと親しくさせていただいています。お話好き、熱い思い、何よりもユーモアあふれる性格に、スタッフ一同愉しませていただいています。ようやく個展が実現できそうで、今からワクワクです。

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